三鷹の国立天文台にて「三鷹・星と宇宙の日2024」が開催されていたので、初めてこのようなイベントを見学しました。
アクセスは武蔵境駅からバスで天文台前まで行く形です。
実は武蔵境は自分が生まれ育った所で、誕生から20歳まで住んでおりました。武蔵境駅も随分と様変わりしていました。
自分の記憶を遡る(60年位)と当時武蔵境駅は貨車の入替を行う線路(南側)があり、午後に蒸気機関車(9600系かな)がおそらく拝島駅あたりから来て入替えを行っていました。その頃は橋上改札があり、渡り部分で蒸気機関車からの煙を煙突上部から見てワアワア言って騒いでいましたね。
天文台は初めて入りました。中学の頃に科学部で天文台見学が計画されたのですが、自分は体調を崩して不参加でしたので、今回初めて正門から入りました。
建物正面受付(特段記帳とか無し)で見取り図を貰い、見学開始です。私のお目当ては近赤外関係での銀河系観測系です。JASMINEプロジェクトです。
中央棟入ってすぐに其れがあり、探す手間も無くご対面でした。Staffの方は数名居たのですが、自分は聴こえがダメなので説明を受けても分からないのでと、此方から失礼になりますのでポスターを見るだけで良いですとことわり、ポスターを見ていました。しかし、若干ではありますが会話をしておよそ45年前に私は赤外か電波で銀河中心部を研究したかった(色々とあり院進学から会社勤めに)んです。とアホな事を話していました。
現在は当時に比べ各種格段な進歩となり、凄いものです。
多分大学教養部2年の地学演習で、水素21cm電波観測の銀河面での観測結果データ(確かオランダの大学でのデータ。銀河面角度対応の強度グラフで有ったように思います。簡単な印刷ですが)を使って銀河面での水素の分布図を描けと言った(多分ですが)課題があり、グラフ高(強度かな)を計測して書いた気がします。どうやったか忘れましたが、距離の遠近(中心からの偏移か?)と強度で書いたように思います。上の写真の1958年のような画像に近いようなものになった思います。
この右下の図が忘れられないですね。妄想的に書くだけですから許して頂きたいですが、自分も院進学(1979~80年代初頭)したら赤外線か電波にて銀河系の中心部の構造や状態の観測を研究課題に想定していましたから、若しかしたらこの近くに居られたのかも知れないと妄想しています。
それがこのブログの「銀河中心域を近赤外で撮影したかった」としている背景です。
その他、幾つかの研究内容とか見て回りましたが、最後の方で65cm大赤道儀室で65cm屈折鏡を見学しました。この屈折鏡は確か誠文堂新光社の「天体望遠鏡ガイドブック」(1970年刊行 小森幸正著)の表紙を飾っており、懐かしい思いがしました。明るくはないですが、写真を撮りました。
その他広場では自作できる電波望遠鏡(アンテナかな?)もあり、実際受信している画面があり、こんな簡単に出来るのだと感嘆したものでした。電波は導波菅とか使って伝達すると意識していたのですが、今はプローブで受信したら同軸ケーブルで伝達出来るとは。進んだものです。
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